お洒落な大人

ダンディズム

ダンディズムという言葉は、身なりや振る舞い、言葉遣い、趣味などに独自の美学を持ち、それを徹底する男性の生き方や美意識を指していると一般的には言われています。それは、単なるお洒落にとどまらず、余裕やこだわりを自然に見せて、時にはやせ我慢もいとわない「男の美学」とも説明されます。

ダンディズムというのは、19世紀初頭に、ジョージ・ブライアン・ブランメル(George Bryan Brummell, 1778年6月7日 – 1840年3月30日)という人物によって創始されたと言われています。ブランメルはそれまでの華美な貴族の服装を否定し、仕立ての良いシンプルなスーツや清潔感を重んじるスタイルを確立し、これがダンディの原型になったいう話です。

ブランメルのお洒落は決して派手ではなく、むしろ地味だったと伝えられています。彼のよく知られた台詞に「街を歩いていて、人からあまりじろじろと見られているときは、君の服装は凝りすぎているのだ」というのがあるほどです。


粋なこだわり

このダンディズムはその人なりの「お洒落の在り方」に深く結びつきます。

例えば、アルマーニや有名ブランドのスーツをピシっと決めたり、小物や靴などを有名ブランドのもので固めたりするのは、お金があれば誰でもできる。 でも、本当のお洒落はそういうのではなくて、よほど注意しないと気が付かない、こだわりの一品をさりげなく普段着に身に着けているようなもの。

そういう「変な、そして粋なこだわり」を持っていることだとくまは思うのね。

だから「ダンディズム」と私は言ったけど、このダンディズムは女性にだって、当然、当てはまるの。


会えなかった老婦人

会いたくても会えないで終わってしまう人というのは、生きていると何人も生まれてしまいます。先日、インターネットのフリマサイトで、決して高価ではないのだけど、品の良いアクセサリーをいくつも出品している人がいました。

どうも亡くなったお祖母さんの遺品整理で、不要なものをまとめて売っていたようなのですが、おそらく出品者さんはそれらの価値をご存じなかったようで、くまから見たら「破格の値段」で出品されていました。中には「よくわからないものです」という説明までついているものがあったりしました。

くまは思わず、その出品者さんの商品をまとめ買いしてしまいました。出品されている、残された遺品を見たときに、元の持ち主のダンディズムがくまには伝わってきたからです。本当のダンディズムは死後も残るのです。だから、売買のやり取り欄で

多趣味で品がよく、好奇心旺盛で、決して贅沢はされないけれど、ちょっと近所に出かける時もお洒落に対して手を抜かない、とても素敵なお祖母さんだったのでしょうね。そしてお茶を飲む時間を大切にしておられたのではないかと思います。

と書き添えたら、

どうしてお分かりに?
まさしくその通りで、最後までおしゃれで多趣味な素敵な祖母でした。
お茶の時間もとても大切にしていました。
まるで祖母のお知り合いのようでびっくりしました。

と、驚かれました。

もちろん、その方が亡くなったからできたご縁でしたが、できれば一度お会いしてみたかったな、とくまは思ったのでした。


ちょっとした後悔

こんな風に、偉そうなことを書いていますが、ちょっとした後悔はあります。

若い頃、お金はいくらでもあったのだから、もう少しブランドものとかで遊んでもよかったかな、という後悔です。これは時々思います。

もっとも今のくまがそんなことをしたら、どう考えても「かっこ悪い」ので絶対に嫌ですけどね。


Ungaroとの縁

ブランド物で唯一の例外がUngaroです。

これは20代前半で出会って、すっかり気に入ってしまったのです。もっとも当時を含めてしばらくは「ブランド物だとは知らなかった」のですけど。

ともかく、物がよかったのです。 そのかわり全然飾りっ気がなくて地味で実用本位。

革靴なんかもすごく軽くて履きやすい。 財布は40年使ったし、傘は40年以上たった今でも使っている。 これって素材と作りがよいことを証明しているよね。

あまり詳しくは知らないのだけど、ちょうどその当時、Ungaroが紳士物にまじめに取り組んでいた時代だったみたいなのね。で、結局、やめて婦人物専門になってしまうんだけど。

ただ、その時にUngaroが集めた職人などのスタッフがかなりすごい人たちだったようです。ともかくこだわって作られているのがよくわかる仕立てでした。その代わり、量産はできない、という感じで、実際制作された数もかなり少なかったらしいです。

もっとも、くまも財布と傘と靴を買ってUngaroとの付き合いはそれ以上にはなりませんでした。その後、全船見かけなくなってしまったからというのもあります。どうもくまが気に入ったものは早々に市場から消えていく傾向があるのですが、Ungaroもその1つでした。


偶然が生んだくま

思いつくままに書いてきましたけれど、20代前半に、偶然が重なって、そういう本物を手にしたり、本当にかっこいい大人に出会えたから、今の「ものを見る目」ができたのだと思うのです。そういう意味では本当に一言、

出会いに感謝

なのです。そして、しみじみと「偶然が生んだくま」なのだな、と思ったりしているのです。